宮支えをしていると度々疑問として湧き起こるのが国民である。
民間企業に勤めていると商品開発をする際には、ターゲットとなる人のプロファイルを結構細かく作る。出来上がった架空の人物像でユーザーインタビューをすると、これ私のことでしょう?と言われることが結構な頻度である。そのくらい実在しそうなレベルまで作り込むのである。
一方で、宮支えの場でのお客さまである国民というのは、一向に姿を現さない。マクロ経済としての消費者というのはいるのだが、あくまで平均的な形で、私からすると顔も無ければ、姿も見えない。こんな人にサービスの提供をするイメージが湧かないのである。そもそも人なのかも定かではない。喜ぶ顔が見たくて製品を作るのに、その相手の顔が見えないのである。何をモチベーションにして良いのか、さっぱり分からない。
そう考えた時に、代議士制というのは、弊害はあるものの結構良いシステムである。少なくとも実在する人がいて、その代理を務めているのであるから。
この場に来るまでは、国会というシステムは声を吸い上げる方法として機能しているのか疑問だったのだが、取れる手段の中では最良の選択をしていると言えそうだ。ただ、これだけ情報伝達方法がリッチになった現在では、十人十色の状態を提示できるようになっている。
国民とは概念であり、実際には顔を持った人がちゃんといるのだ。そこに対応できるシステムも作れそうだし、それができればより良い国になっていけそうである。

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