宮仕えをする役人を叩くのが一般化したのは、おそらく90年代に入ってからだろう。宮仕えの場でやっていることを誰かが批判するために、バッシングという言葉が流行語になってしまったことがあった。
宮支えの場では、国民が知らないような、大切な情報がたくさんある。政策を考えるときには、その情報が必要だ。その情報を守るために、慎重に行動する必要がある。それが宮仕えの役割なのだ。
加えて宮支えを行う者は常に将来を見通す能力を持つ必要がある。今日の政策が、将来どうなるかを見据えて決定する必要がある。しかし、最近の宮仕を為す者はその能力を失いつつある。
それは、マスコミや国民からのバッシングが続いたためだろう。宮支えを為すものが慎重に行動することは大切だ。マスコミや国民からのバッシングがあると、それだけで進むものも進まなくなるからだ。ゆえに慎重に慎重を重ね、確実に進む道を探っていく。しかし、それが過ぎると、失敗はできなくなるし、度が過ぎると宮仕は間違いを犯さないという誤った思想に行き着く。誤謬というやつだ。国民もそう思い、宮仕を為すものもそう思うと、誰も間違いをすることができなくなる。現在の宮支えの場は、硬直が劇的に進行するか、柔軟性を取り戻すかの瀬戸際にいるのだ。
誰しも自国の未来を悲しいものにしたいとは思っていないはずだ。国民一人一人がその能力を獲得するのが理想である。さもなくば、宮支えを為すものに持たせ、その結果を監視すれば良い。決して敵対するものでもバッシングの対象でもなく、この国の行末を我が身として考える同士である。
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