ここ霞ヶ関は混乱を嫌う文化である。
もっとも、好きな人は居ないと思うが、それにしても極端なくらい混乱を嫌う。
内閣総理大臣をトップとした忙しい日々を過ごす国会議員が集う場での時間のロスは、そのまま国の問題解決の時間のロスになる。そのため事前にさまざまな対策を裏方として練っておくである。
そうなるとほぼ台本のようなものが出来上がる。棒読みと呼ばれる次第である。熱弁をふるう各党代表の答弁もほぼ一言一句前日には分かっている。この中に質問が含まれているので、事前に把握しておき、それに対応する最良の答えを準備しておくのである。
システムとしては素晴らしいものである。戦後、さまざまな課題があり、これらを解決してきた実績を考えれば素晴らしいシステムである。
だが、少し引いて眺めると、さながら劇である。舞台は国会議事堂、役者は議員、脚本は役人、演出は議員本人。題目は国民。では、観客は・・・?
劇に混乱は不要である。演目としての混乱は楽しみだが、そうでない混乱は見ていて見苦しいものである。そう考えると脚本家として混乱は自らの能力の無さを披露することになるのだから、嫌うに決まっている。
では、劇として見ずに会議としてみたら?
質問も回答も決まっている会議なら、事前にアジェンダを配布しさらに深い議論を進められる。そこには混乱も沈黙も存在するのが普通だ。それをしないなら、無駄な会議なのでやめましょう。と、民間なら、なる。
果てさて、混乱は歓迎すべきものか、嫌うべきものか。
0 件のコメント:
コメントを投稿